こんにちは
高津区二子新地「しなやかな心と身体で、快適な毎日」
Beauté Pilates Studio
ピラティストレーナーの向山敬子です
暖かくなったと思えば突然寒くなったりと気候が安定しませんね
そんな中暖かく春らしい陽気の日に、満開の桜を観に「まつださくら祭り」に行ってきました
コロナ禍も2年になり、休みの日は家で過ごす日が続く中このまま時が過ぎてしまうのは勿体ないと感じ、出かけてきました
あなたはもう桜を見られましたか
折角の日本の春を楽しみましょう
ところで今日は私の身体の歴史を紐解いてみたいと思います
少し長くなりますが、皆さん何かしら抱えていると思うのでご自身に当てはめて読んで頂けたらと思います
では、、
私は、子どもの頃から20代までしょっ中股関節脱臼をしていました
自分が苦しんでいる所を見られたくないので、一度外れるとう〜んと唸りながら我慢して、、
親は全く知りませんでした
今だったらすぐにでもお医者さんに診て貰ってそれなりの対処をしていたと思います
多分マシンピラティスをやってたんじゃないですかね
学生時代には体操をやっており、大きな怪我は有りませんでしたが捻挫を繰り返し足首はグラグラしています
またその頃から腰の骨が一つ後ろに飛び出していました
社会人になってからは所属するスポーツクラブで行われたボディビル大会のパフォーマンス練習の時に親指を骨折し、ぱんぱんに腫れ上がった親指で翌日予定していた駅伝に参加
痛いなぁ〜と思いながらも病院に行くのが面倒で、一年後に行ったら「折れたまま固まっちゃいましたね」と言われました
今でも運動量が多くなったりするとズキズキしたり、これが原因でしっかりと足裏全体でバランス良く床を踏むことが出来ないので、身体へも悪影響を及ぼしていると思います
その後ダンスに夢中になる時期が何年か続き、、♪
そして競技エアロビックの選手を13年間やっていました
体操でもダンスでもトップに行けなかった私は、ここで結果を出したいと頑張りました
(その頃は借金が膨れ上がりましたが、今しか出来ないことだからと選手としての生活をメインにしていました)
そして初めて日本代表に選ばれた翌週に行われた国際大会の時に右膝の前十字靭帯断裂をし、それからはいつも右膝から下が冷凍庫の様に冷たかったです
その後大会に向けてリハビリの日々を過ごし、世界大会まで3週間という時に左脹脛の重度肉離れに襲われ歩けなくなりました
これはかなりショックでしたね
一週間は全く歩くことが出来ず、足指を動かすことから始めました
それでも私にとって初めての世界大会だったので、出場しないという選択肢は無く、体幹トレーニングのみで大会に臨みました
空中から飛び降りて腕立て伏せや開脚の状態で着地する等の技をよくやっていたこともあって、着地の時の衝撃で首がいつも詰まって頭が前に出ていたり、腰の骨が後ろに飛び出したりしています
選手時代には治療に行くと「わぁ〜、酷い腰ですねぇ」と必ず言われていましたが、本人はあまり自覚は有りませんでした
多分アウターの筋肉で守られていたのだと思います
しかし選手を引退してしばらくすると徐々に筋肉は落ちていき、、それと同時に腰周りの痛みが増していきました
片側の腰がいつも痛くて不快感と共に生きてきました
50歳を過ぎてからは股関節痛にも悩まされました
若い時の無理が祟って身体が悲鳴をあげていたんですね
それがこの前ふと気がつけば、腰がふんわりと雲に包まれているかの様に楽で、何の痛みも無かったんです
この感覚は感動でした
痛みや不快が無いとこんなにも幸せなのかと
ふわっと包まれている様な感覚
最高に幸せな気分です
ミドルエイジになると、ペットボトルの蓋が開けられなくなったりと筋力が落ちてきてしまいます
筋力が弱くなった分関節を支えられなくなって痛みが出たり、動かさないでいる分固まって狭まってしまった身体の可動域を広げていくことが必要ですね
筋力トレーニングとストレッチを同時に行うことが出来るマシンピラティスは怪我を起こすことも無く無理なく身体を整えることが出来るので
特に50代前後の方には最適のプログラムと感じています
そしてあなたにも、諦めかけていた「自分史上最高に快適な身体」を手に入れて頂けたら私も嬉しいです
私の場合遺伝的なものも有る上に、学生時代から腹筋をやり過ぎた為か腰椎が後弯しています
衝撃に対するクッションの機能を働かせる自然なS字カーブとは逆になってしまってるんですね
この大変な身体と今後も付き合っていかないといけません
今後快適な人生を生きていく為にも、コンディションを整えるこの運動は一生続けていこうと思っています
ピラティスでずっと輝く
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